World Federation Culture and Education Promotion Concil

 

設立の歩み

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世界連邦運動は、1945年8月6日に広島に投下された原子爆弾に端を発しました。この原爆で人類は初めて核の惨禍に見舞われました。アルベルト・アインシュタイン博士が、「核戦争による人類絶滅を避けるためには、他のいかなることにも優先して世界連邦の樹立を断行しなければならない。」と説き、アトリー元英国首相、ドゴール元仏国大統領、ネール元インド首相らが「人類生き残りのための世界連邦実現」を訴えたことが世界的な世論形成に繋がりました。さらにケネディ元米国大統領とフルシチョフ元ソ連首相が支持したことも大きな力となりました。

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日本では、憲政の神様と言われた尾崎行雄氏が、「世界連邦は第二の廃藩置県である。世界の廃藩置県なくして人類の平和はない。」と主張。1945年12月11日、当時の帝国議会に「世界連邦建設ニ関スル決議案」を提出しています。その後時間はかかりましたが、2005年8月2日の衆議院本会議において「世界連邦実現への道の探究」を明示した国会決議が採択されました。ノーベル物理学賞受賞者・湯川秀樹博士がこの運動の先頭に立ち、「世界連邦は昨日の夢であり、明日の現実である。」と呼びかけました。

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そして湯川博士とともに立ち上がったスミ夫人が、尾崎行雄、東久邇稔彦両氏に次ぐ三代目世界連邦建設同盟会長として、長く全国の運動を牽引する役割を果たしました。
1985年2月に、「世界連邦全国婦人協議会」を結成。
2006年の逝去まで45年の長きにわたり不断の活動を行い、全国に18支部を結成する程の発展を導きました。

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2013年、スミ会長の遺志を継承し、慈受院第二十一世門跡の梶妙壽氏が、新たな視点と感覚、思考を持った人々のパワーを結集し、今の時代にふさわしい組織を新生させることを決意しました。「女性」だけにこだわらず、若者から年配者まで幅広い年齢層の方々が参加して、「文化・教育・平和」を守り、育て、根付かせていくことを目的として、世界連邦推進日本協議会の御協力を得て「世界連邦文化教育推進協議会」が設立されました。梶氏は初代会長に就任し、文化と教育の振興を推進することが世界の平和に繋がることを提唱し、多くの賛同者を募りました。しかし、結成から約1年後に梶氏が遷化され、予定されていた世界連邦文化教育推進協議会の設立記念大会は一旦延期となりました。

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しかし、梶氏が一途に歩んで来られた様々な活動が実を結び、梶氏の想いに多くの方々が賛同し、当会は新たに息を吹き返しました。新会長に、東久邇信彦氏が就任され、本日の大会を迎えることができました。日本が経済大国として、また唯一の被爆国として、世界を平和に導いていくためには、経済力だけでなく、日本の文化力を発揮し、未来の世代がそれを受け継いでいく教育をすることだと思います。世界連邦の思想を常に念頭に置きながら、文化・教育の推進を通して、ひろく拡大と浸透をさせて参りたいと存じます。

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